周囲 - ポルタ・ヌオーヴァ、新市民公園、州庁 ミラノ

Doria Grand Hotel

オンライン予約

 
宿泊を予約 ベストレート保証
ポルタ・ヌオーヴァ、新市民公園、州庁

ポルタ・ヌオーヴァ地区は、ガリバルディ=レプブリカヴァレジーネイゾラから成るミラノの3地区に関わる大規模な都市再開発計画によって生まれるミラノの新しい個性です。

この新しい地区には、オフィス、住宅、ショッピングモール、公共サービス施設、集会所、文化センター、創造的な工房、広い展示場、緑地および市民の憩いの場があるだけでなく、ミラノ市の新市庁舎およびロンバルディア州の新しい州庁所在地として新たな官庁街が築かれる予定となっています。総面積は360,000に及び、うち90,000㎡は1500本以上の樹木が植えられる緑地となり、160,000㎡は全長2kmに渡るサイクリングコースをもつ歩行者専用エリア、また20,000㎡が図書館、展示場、娯楽スペース、若者のためのエリアといった文化施設のために割かれる計画となっています。

 

新しくなったミラノ中央駅

ドーリア・グランド・ホテルよりわずか300mの距離にあるミラノ中央駅。あらゆる公共交通へのアクセスに加えて高速列車アルタ・ヴェロチタの発着駅でもあるこのミラノのターミナル駅は、ヨーロッパの主要ターミナルの中でもとりわけ壮麗な空間として、市内の中心地において新たな輝きを放っています。 中央駅をぐるりと見渡すだけで、約1世紀前にウリッセ・スタッキーニによって設計された“鉄道交通の聖なる殿堂”としての風格ある魅力とともに、新たに加わった特徴を認めることができるでしょう。改築を施された一連の堂々たる空間は多様な大理石によって彩られ、自然光と照明が壁面の帯状装飾、薄肉彫り、装飾、ヴォールト、手作業で彫られた細工等をくっきりと浮かび上がらせ、新たに加えられた建築的要素の個性と力強さを際立たせています。 イタリアにおける民間建築の補修改築工事の中でもミラノ中央駅のそれは最も重要なもののひとつであり、これによってミラノ中央駅は、鉄道輸送の新方式であるアルタ・ヴェロチタと2015年万国博覧会を鑑みた極めて重要な役割を果たす駅となりました。 改築された総面積60,000㎡、鉄道エリアに23,000㎡、サービスエリア、ショッピング、レストランには30,000㎡が割かれ、新たに設置された16本の動く傾斜路は全長530m、ヴォールトと修復された天幕は23,000㎡に及び、さらに総面積11,000㎡の新しい大理石が床石および壁面に使われています。この補修改築は、都市の再開発計画および中央駅を取り囲むエリア全域の“ルネッサンス=再生”計画全般における基幹部分となっています。
 

ヴェネツィア通りと市民公園

ヴェネツィア通りはミラノでも最もシックな通りのひとつで、モンテナポレオーネ通り、スピーガ通り、サンタンドレア通りおよびマンゾーニ通りとともに、ミラノのショッピングエリアである“クアドリラーテロ・デッラ・モーダ(ファッションの四角形)”の一辺を占めています。このエリアにはルネサンス、バロック、ロココ、ネオクラシックの各様式による建築物および公園が多数存在しています。ヴェネツィア通りには、セルベッローニ館、旧王宮(ヴィッラ・レアーレ)をはじめとする重要な建築物が数多く建ち並び、通り沿いには市民公園が広がっています。この公園の中にはミラノ市立自然史博物館があります。 インドロ・モンタネッリ記念市民公園は、ポルタ・ヴェネツィア地区にあるミラノでも有数の美しい公園のひとつです。ここは市民の憩いの場として特別に作られた市内で最初の公園となりました。2世紀以上にも渡って市民公園、ポルタ・ヴェネツィア公園、あるいは単に公園と呼ばれており、市民から広く愛されています。柵に囲まれた公園の中には、1929年に建築家ピエトロ・ポルタルッピによって設計されたウルリコ・ホエプリ記念ミラノ市立プラネタリウム、1892年にジョヴァンニ・チェルーティによって設計されたミラノ市立自然史博物館、1600年代に建築、1700年代に改築を施され、1800年代の終わりにはミラノ市の所有となったドゥニャーニ館があります。また公園の中には、19世紀の著名なミラノ市民およびその他の人々の像が数多く立っており、中でも最近のものとしてヴィート・トニャーニの手によるインドロ・モンタネッリ像があります。2002年より市民公園はこの人物を記念してその名を冠しています。
 

ミラノのチャイナタウン

10年前より、カノニカ通り、プロカッチーニ通り、チェレジオ通り、モンテッロ通り、C.M.マッジ通りに囲まれたエリアに中華街が形成されてきました。パオロ・サルピ・エリアの有名なこのチャイナタウンの名は、この地区の中心的な通りであるパオロ・サルピ通りに由来し、ここには中国人が経営する衣料品および工芸品店、レストラン、ファーストフード店が数多く建ち並んでいます。1920年代より中国からの移民が始まったこの地区は多文化を具現する見本的存在といえます。 チャイナタウンの多くの店では、工芸品、衣料品、お茶、その他沢山の品物を非常に控えめな値段で求めることができます。通りを歩けば至る所に漢字の表記があふれ、レストランからは香辛料の香りがただようこの地区は、つまるところミラノの一角を占める現代中国ということができるでしょう。中国の正月は大変楽しく盛り上がるお祭りであり、そのときには中国国旗の隣にイタリア国旗が並ぶのを見ることができます。
 

クアドリラーテロ・デッラ・モーダ

クアドリラーテロ・デッラ・モーダとは、ミラノ中心地を走る4本の通りから構成される想像上の四角形です。この四角形の中には、ファッション界における重要なブランドのブティックやアトリエが数多く存在しています。 この四角形の四辺はモンテナポレオーネ通り、マンゾーニ通り、スピーガ通り、ヴェネツィア通りで構成され、ボルゴスペッソ通り、サント・スピリト通り、ジェズー通り、サンタンドレア通り、バグッタ通りがその内側を網羅しています。
 

ブエノスアイレス通りはショッピングの王国。

主要なショッピング・ストリートであるブエノスアイレス通りは、1600年代にロレートの聖母が祭られた聖地へと続く“ロレート大通り”として1782年に開通しました。その後ロレート広場のロータリーの完成(1838年)により、この通りは北方面より市内に入るための重要な道路となりました。 今日のブエノスアイレス通りには数々のショーウィンドウが途切れることなく続き、1.5kmに渡ってあらゆるタイプのショップが建ち並んでいます。